これまで、一般に「明るい明治と暗い昭和」を対比的に語る「司馬史観」(「坂の上の雲」がその典型)や、日本は日清・日露の戦争では国際法を遵守した優等生だったが、太平洋戦争に至ると国際法を無視した、の言説が流布しています。しかし、このような言説は、果たして何処まで学問的検証の上になされているのでしょうか。
安達峰一郎研究によって、地域と自治、人権と国家などの関係を捉えなおし、こうした問題にも迫ることが可能となるし、安達峰一郎の人間としての生き方にも、強い関心が湧いてきています。それは今まさに安達のような人物が求められているからに他なりません。
その理由は次のとおりです。
@ 安達峰一郎は、国家間の紛争を戦争でなく、国際法によって解決する組織作りに生涯を捧げ
たこと。その業績のもつ普遍的な意義、つまり非戦の制度化、世界平和の組織化の重要性が
ますます認識されるようになっています。
A 安達峰一郎は、少数民族、弱者へのまなざしに留意し、人間の理性を信頼し、自らその設立
に立ち会った常設国際司法裁判所(非戦思想の制度化、世界平和の組織化)の歴史的意義に
対する揺るぎない確信を持ち、過酷な激務に耐えました。
B 安達峰一郎は、常設国際司法裁判所を崇敬し、1931年の彼の開廷演説で、それを『「法に基
づく平和の概念の生ける具体化」と呼び、「人は変わってもその概念は生き続け、その制度
は存続する。」と付け加えました。
C 安達峰一郎の遺産は、国際連合と国際司法裁判所として、今なお受け継がれていること。
さらに重要なことは、安達峰一郎の平和の精神が、日本国憲法の平和主義として結実してい
ます。今そこ、安達峰一郎の平和の精神とその志を受けついで行く必要があるとのではない
でしょうか。
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