第2次世界大戦後、米ソ冷戦構造の遺物が日中韓の地域を政治的に分断してきました。しかし、近時、日本を取り巻く東アジア、とりわけ日中韓をとりまく政治構造、政治状況に変化の兆しが見られます。従来、外交は常にアメリカを中心に2国間で展開し、東アジアは地域としては政治的に分断されてきました。アメリカの衰えと中国の台頭等で、国際的な力関係に変化が生じており、日本も従来の対米従属的外交姿勢から転換し、東アジアの連帯に目を向け始めているかに見えます。
長期の歴史から考えてみましょう。東アジアに位置する日本は、日本という国号ができる以前から5つの内海(ベーリング海、オホーツク海、日本海、東シナ海、南シナ海)を通じて地理的な近隣諸国との深い交流の歴史がありました。しかしそれは先ず中華帝国の支配秩序に組み込まれ、次いで明治以降は、帝国主義日本の支配秩序に組み込まれました。
1910年(明治43)、日本は韓国併合に関する条約に調印し、日本国天皇は「韓国併合の詔書」を発し「前韓皇帝を冊して王と為す」と宣言。韓国皇帝は日本国天皇の臣下となり、各国は名実ともに日本の植民地となりました。このことは、日本の明治天皇が、清国皇帝に代わって東アジアのおける新たな朝貢体制の頂点に立ったことを意味します。
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