今井氏が「ハーグにささぐ」を書いた昭和40年代初めの頃は、安達峰一郎の確りした
年譜が無かったので、今井氏は親戚知人など安達峰一郎周辺の人々の記憶をもとに
「ハーグにささぐ」を書いたため、同氏の記述には年譜に関わる誤記が多く見られる。
F今井氏の記述「イタリアに赴任した峰一郎は、明治30年フランスに転勤しフランスから
日本へ帰ってきて、東京麹町平河町に居を定めたが、同35年公使館1等書記官として
再びフランス在勤を命じられた。そして、日露戦争がおこった。」
↓(年譜にこだわって書くとすれば・・・・)
「イタリアに赴任した峰一郎は明治30年フランスに転勤。同35年公使館1等書記官に
任ぜられ、36年5月帰国。東京麹町平河町に居を定めたが、翌37年日露戦争がおこっ
た。そして同38年、日露講和全権委員随員としてアメリカに派遣され、同41年、再び
フランス在勤を命じられた。」(詳細は拙著「安達峰一郎年譜」をご覧ください。)
その他の今井氏の誤記 ≪ 真相は・・・ ≫
G「明治42年の暑中休暇中、招かれて ⇒ この時期、峰一郎夫妻はパリ在住(東京
永田町麹町に滞在したときも峰一郎 出発は明治41年12月)で会えなかっ
夫婦の多忙が目についた。」 た筈。「明治42年」は記憶違い!
H「峰一郎の長男太郎は大正3年7月 ⇒ 一高合格が7月。入学は9月。
一高に入学した。」
I「太郎は昭和19年パリの病院で死去。」 ⇒ ブリュッセルの病院で死去。
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