「ハーグにささぐ」の中で今井氏は、安達が穂積陳重に宛てゝ書いた手紙「志ヲ書シテ清鑑ヲ仰ク」の執筆年を「明治21年秋」と書いている。理由は、財団法人・安達峰一郎記念館(現安達峰一郎記念財団)が昭和39年11月に山形市内で行った「安達博士回顧30周年展」のパンフレットにあるようだ。この展示会は今井氏が「ハーグにささぐ」を書く4ヶ月前に開催されたもので、見学者用パンフレットに、この手紙の全文が掲載されており、表題を「博士19歳 進学にあたっての志 ≪志ヲ書シテ清鑑ヲ仰ク(明治21年秋)≫」としている。恐らく今井氏は、これを引用したものと推察されるのである。
この解説の原典となったと思われる資料は、現在、国立国会図書館に保存されている。それは、鏡子夫人が夫の遺品整理中に、博士が書いた、この手紙の下書きを見つけ、それを昭和15年に清書したものである。それによると、手紙の表題を「志ヲ書シテ清鑑ヲ仰ク 明治21年ノ秋」とし、以下、19行に亘る縦書きの手紙文が楷書で書かれており、末尾には、次のような鏡子夫人の注釈が付けられている。即ち、
「右ハ明治21年秋、高等学校卒業直後ノ御書。明治3年ノ御誕生故、18歳ノ時ノ御考慮ヲ陳ベラレタル御筆なり。武府占領中、昭和15年7月29日 安達鏡子写」
ところで、安達峰一郎の誕生日は明治2年6月19日である。また、第一高等中学校卒業が22年7月で、峰一郎が満20歳の時である。鏡子夫人が書いているように、峰一郎がこの文章を書いたのは、「彼が第一高等中学校を卒業し帝国大学に入学するまでの間」というのには間違いはないと思われる。これらのことを総合して判断すると、峰一郎がこの手紙を書いたのは「明治22年秋
、満20歳のとき」ということになるのである。
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