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                                                   ニューヨーク
3.「病み上がりの安達、メキシコからの帰途 NYで検査入院」


安 達 尚 宏

 今井氏は、No.1で紹介したように「安達博士はメキシコで心臓に影響を及ぼす風土病に罹った」と書き、それを受けて「・・・帰国の途中、安達博士はニュヨークの病院に入院加療することになる。幸い心臓病は完治した・・・」と述べている。しかし、No.1で紹介したように、発病して3ヵ月後に安達博士が指名した後任のメキシコ人医師は「博士の病気は重い肝臓障害。心臓は正常。」とした上で、大正4年3月初旬、安達博士の病状と帰国する際の注意点について概略次のように述べている。

「安達閣下は、今後8,9週間内には日本に帰国する長旅に耐え得る十分なる体力に回復するであろう。しかし、日本に帰国する際は、まず米国のフロリダに渡り、そのまま日本への旅行を継続できるか、或は一時入院して治療を受けるべきかは、同所に着いた時点での閣下の健康状態により決定すべきことである。その際、閣下の身体機能、及びこれまでの治療法の詳細を熟知するメキシコの主治医が米国まで同行し、場合によっては米国の医師と協議して決定することが最も適当である。」

 大正4年8月
30日、安達博士はメキシコ市を発ちNYに向った。NY到着直後、博士は同市内の病院に数日間入院し精密検査を受けた。この入院は、先のメキシコ人医師の診断記録にもあるように、日本までの長旅が可能かどうかの検査入院であった。博士は、日本までの長旅が可能であるとの診断結果をもらって退院した。医師団の診断結果に満足した博士は、9月15日、天童出身の菊池学治が営むNYの写真館で記念写真を撮ってもらった。この写真が現在も生家に保存されている。この写真は、博士の生涯で最も痩せこけた時期の写真であるにも関わらず何故か最も好まれる写真となっている。
  健康上の自信を取り戻した博士は勇んでワシントンに向かった。在米大使館員で教え子でもある川島信太郎と会うためである。博士は、川島の案内で市内見物をしたりデパートで買い物をするなど寛いだ一時を過ごしたのだった。こうして博士は、アメリカ大陸を横断し太平洋航路で帰国の途についた。横浜港到着は
1019日であった。

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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