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2.「安達に死を覚悟させた風土病の原因はゲリラの列車襲撃事件」

安 達 尚 宏

  今井氏は「ハーグに捧ぐ」の中で、「風土病に罹った原因を知らない。ある会議と別の会議との間に切迫があって、峰一郎は馬を駆ってサボテンが野生する砂漠を疾駆したという話がある。当時のメキシコは現在とは比較にならぬほど未開の部分が多く、風土病に対する予防措置も未発達で、罹患がそれゆえと思う」と述べている。当に小説家的発想である。 事件の真相は、大正5年6月20日に横浜で行なった帰朝講演「メキシコ革命とサユラでの遭難」の中で、安達博士自身が詳しく述べている。

  大正2年1月、安達博士は、革命運動まっただ中のメキシコに公使として派遣された。翌年6月、邦人保護のためメキシコに派遣された軍艦「出雲」の艦長以下乗組員を労うためにマンサリーニョ港に赴いた。その帰路、博士が乗った汽車が駅に停車するたびにゲリラ兵から銃撃を受けた。列車内に18名のメキシコ人兵士を乗っていた為であった。 列車がサユラという寒村の駅に停車すると再びゲリラの銃撃を受けた。機関車に当った弾丸の数は20数個。やがて薄暮となり、これ以上列車内に留まるのは危険、と博士は意を決して列車を降り村に這入った。しかし、そこはすでに病院が焼き払われ、略奪を受けるなど惨憺たる状況にあった。博士は村長宅に一泊させてもらったが、いつゲリラに襲撃されるか分からないので長居はできない。こうして、博士一行は原野をさ迷うこととなり、以後10日間、行方不明となった。この間、野草など食べられそうなものはすべて口にした。軍艦「出雲」の乗組員で組織された捜索隊によって無事救出されたが、首都メキシコ市に戻って間もなく、博士はメキシコの風土病を発症し、3ヶ月後には死を覚悟するほどの重症に陥ってしまったのであった。

 こうして、このゲリラの列車襲撃事件により、メキシコ原野を10日間も彷徨ったことが、博士が重病に陥る原因となった。

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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