故今井達雄氏が著書「ハーグにささぐ」の中で、「安達博士はメキシコで風土病に罹った。それは心臓に影響を及ぼす種類のものだった。」と書いている。それを孫引きしてか、昭和9年末に死去した安達博士の死因を「メキシコ時代に罹った風土病による慢性心臓病が悪化して死亡」とする論文を見るに至る。この論文を見て、ヴェルサイユ会議以降の安達博士の昼夜を分たぬ激務を物ともせぬ大活躍ぶりを見るにつけ、心臓病を抱える人間が、このような大活躍が本当にできるのか疑問に思っていた。
平成18年になって、「安達の病気は重い肝臓障害。心臓は正常。」と書いた主治医(メキシコ人)の診察記録が見つかった。安達が大正4年3月5日付で小川平吉に送った手紙に同封されていたものである。さらに、織田萬(帝国大学時代の同級生で常設国際司法裁判所第1期目の判事)が、安達の娘婿である武富敏彦から「安達が胆毒(重症の急性肝臓病)に罹かったが奇跡的に命拾いをした」と聞いたと、安達を見舞った手紙も見つかっている。よって、今井氏
の書いた「この風土病は心臓に影響を及ぼす種類のものだった」は、間違った情報であることが明確になった。
安達が風土病を発症して3か月後、病状が重くなる一方だった。安達は、思いきって主治医を変えた。そして、安達は「病気の経過と新しい主治医の治療法」を詳しく手紙に認め、同郷で当代随一の遠山椿吉医学博士に意見を求めた。それに対する遠山博士の見解は「主治医の判断は正しい。病気は単なる肝臓障害で快方に向かうこと間違いなし」と太鼓判を押しているのである。事実、安達は、3ヶ月後には、時々発作に悩まされながらも、仕事ができるまでに快復したのであった。 |