常設国際司法裁判所(PCIJ)所長としての安達が、具体的にどのような事件を扱ったのかについては、意外と知られていないと思うので、ここではそうした事件をごくごく簡潔に紹介していきたい。今回はタイトルにある事件である。
ことの発端は、第1次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国が解体され、その承継国家であるハンガリーとチェコ・スロヴァキア(以下、チェコ)において発生した土地問題である。ハンガリー国立ペテル・ラズマニー大学は、スロヴァキアに土地を所有していたが、大戦終了直前にチェコ軍に占領され、そのままその管理下におかれた。そこで大学は、第1次大戦後に設けられた混合仲裁裁判所に不動産の回復を求めて訴えた。混合仲裁裁判所は、チェコには原状回復の義務があるとの判決を下したが、それを不服とするチェコは安達が所長を務めるPCIJに訴えた、というわけである。PCIJは、1933年12月15日にチェコの請求を退ける判決を下した(12対1、安達は多数派)。判決後、大学とチェコ政府の間で協定が成立し、大学がハンガリーで数千エーカーの土地を購入できるだけの賠償金をチェコが支払うことになったそうである。
ちなみに、1933年12月20日付で安達所長がケロッグ判事に送った手紙が残されている。この事件の判決起草に安達が積極的に取り組み、またある種の高揚感を抱いていることが良く分かる(ケロッグ判事は、本件の口頭審理および裁判官評議まで参加していたが、判決が下される2週間前にハーグを離れていた。理由は不明)。
「裁判所は私が概要(schéma)に示した論点すべてについてかなり慎重に議論しています。裁判所は起草委員を任命しました。今回は、アンチロッチ、王、ハマーショルドそして私で任務を分かち合っています。我々は各々が判決の一部分を書きました。判決の草案は、裁判所によって好意的に受け取られています。ほとんど修正案も出されず、そしてあなたが既に確認しているように、判決の記述は素晴らしい出来栄えです。というのも判決は一貫しておりまた紛争当事国に提起されたすべての論点に答えています。私は、この判決は裁判所の活動開始以来下してきた判決の中で最も素晴らしいものの一つであろうとの印象を持っています。学界もこの判決に大いに肯定的な反応を示すことは間違いありません。」(Adatci to Kellog 20 December 1933 Kellog Papers 48, cited in Ole Spiermann, International Legal Argument in the Permanent Court of International Justice The Rise of the International Judiciary, Cambridge Univ. Press (2005), p. 354)
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