峰一郎は、明治21年10月4日から2、3か月間、穂積陳重が講述する「法学通論」を受講した。
穂積陳重は、第2回文部省留学生としてロンドン大学と法曹院のミドル・テンプルに留学後、
ベルリン大学でも学んだ法学界
の大御所。西洋伝来の法律学を初めて日本語で教えた。
「法学通論」の名称と法学教育カリキュラムに「法学通論」の講義科目を設置する構想は、
おそらく彼の発案による。「法学通論」は、現在で言えば大学1年時に学ぶ法学概論。法学の
初学者に法学の大体を学習させることを目的とし、ドイツ諸大学の制度にならって、明治15年に
新設された。
この「法学通論」を峰一郎は、どのような思いで受講したのだろうか。それは分からない。
しかし、この講義内容
なら分かる。峰一郎が穂積の「法学通論」を毛筆縦書きで克明に筆記した峰一郎のノートが残されているからだ。この筆記ノートは、穂積陳重が実際に行なった「法学通論」の内容を明らかにすると同時に、我が国の法学教育の草創期の具体像に照明を与える第1級の史料である。慶應義塾大学図書館が所蔵する。峰一郎が恩師と仰ぐ穂積宛に「志ヲ書シテ清鑑ヲ仰グ」の書簡を書いたのは、同講義の受講期の明治21年秋、または明治22年秋のことである。 |