第2回国際連盟理事会は、米国大統領ウイルソンが提案した通商の自由、通商障害の撤廃、通商均等主義など、通商政策の国際制度確立を目指し努力を重ねていた。日本代表として理事会に出席していた安達は、1920年にブリュッセルで開催された「国際財政会議」で、イタリアが提案した「通商の自由、原料食品の独占打破」の案件に支持を表明した。この問題は、英国など植民地保有国との利害関係が根底にあるため、関係する国々は一層、警戒心を深めた。
安達ら日本代表は列国の空気をよみ、英国の委員と協議して、審議条項第4条を採り上げ、報告書を理事会に提出した。同理事会は、1921年3月に、スペインのバルセロナで開催する国際交通会議において、第一回連盟総会の第二委員会の議長であった安達に副議長を委嘱することを決めた。鏡子の歌「翌年の二十一年には願われてバルセロナの交通会議を主催す」
|