トップページ生家経歴まめ知識話題

37.「ロダン・高村光太郎・峰一郎の関係」

鈴 木  勝

 峰一郎は、彫刻家ロダンに重大な関心と尊敬の念を抱いていた。ロダンは 1900年のパリ万国博覧会に合わせて開いた個展が成功し、当代随一の 名声を世界的に確立した巨匠である。一方、安達は明治30年にフランス 公使館勤務となりパリ万博の事務担当者として、企画の段階からこの万博 に関わりをもって働いた。この万博を期に2人が出会ったとしても不思議はない。20年後、安達がベルギー公使に赴任して間もなく、高村光太郎との書簡のやり取りが始まった。峰一郎は、ポール・グセルの著書「若き芸術家達に」の中に見つけたロダンの数々の教訓に感動し、雑誌の切抜きを光太郎に送り届けた。早速、光太郎は彼の著書「続ロダンの言葉」にこれらの教訓を紹介し、これは安達博士が「何レノ道ニモ当テハマル金科ニ御座候。我国青年ニ御広メ下サレ候ハバ仕合セニ存候。」と光太郎に書き送ってくれたものである、と紹介した。



 
<<豆知識一覧に戻る
 

安達峰一郎博士顕彰会                
(山辺町教育委員会生涯学習課文化係)
TEL.023-667-1115 FAX.023-667-1116