設司法裁判所創設諮問委員会案が、大正9年2月ロンドンで開催された連盟理事会で、仏国の政治家ブルジョアの提案により、世界的に著名な10名の委員を指名し採択された。その中に日本の安達峰一郎の名があった。委員長にはベルギーの国務大臣デカン男爵がいた。安達峰一郎とは気心の通い合う友人である。当時の文献を見ると、国際法や世界的政治家が名を列ねている。国際法学者ラプラデル、マドリード大学教授アルタミラ、米国国務長官エリフ・ルートの名前も見える。事務方としては事務局長がイタリアのL.アンチロッチ、その補佐役としてエイク・ハマーショルド(第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルドの
長兄)がいた。草案が採択されるまでに、委員会が35回ほど開かれ、議論が尽くされた。このときの様子を、鏡子夫人の歌集には
「 愈々と法廷構成 大戦後 世界に人を撰む時来ぬ 」と詠まれている。
いよいよ き
|