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29.「ロシア政府の悩みと本野在ロ大使からの書簡」

鈴 木  勝

 ロシアは日露戦争の敗戦後、内外政とも死の苦闘に喘いでいた。国内では現体制に民衆が不満を抱き、血の日曜日、ポチョムキン水兵の反乱など次々と難題が勃発。対外的には東部戦線が情況不利に陥り、ガリシア地区を放棄しドイツ軍に占領された。英仏は両国とも皇帝が親戚筋に当たるので、ロシア政情に憂慮を抱くも、第一次世界大戦突入のため自国の軍需品製造に忙殺され、ロシア支援の余力が無かった。そのためロシアはなりふり構わず日本に支援を求めることにした。大正4年10月、安達はメキシコから帰国した。病後療養の配慮から外務省で事務に従事していた。そんなある日、安達の許に在露大使の本野から書簡が届いた。それには、ロシアが皇帝名代ジョルジュ・ミハイロビッチ大公を日本へ派遣することが記されていた。安達は暫く考えこむと、外務大臣室へ報告と相談に出向いた。ロシア崩壊の1年4ケ月前の事だった。



 
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