日本人移民が多く住むモレロス州は、反政府派の1つサパタ農民軍の支配地区であった。サパタ農民軍は、日本に対しては友好的であったが、国境紛争のある米国には冷たかった。安達がシカゴ領事館から呼び寄せた馬場書記生は、安達が表の外交を司る中、サパタとの交渉という云わば裏の外交を担当した。馬場の生死をかけた働きにより日本人の救出作戦は成功した。安達は馬場を労うと共に、外務省への報告書に馬場の功績を書き添え本国からの返事を待った。しかし結果は安達の意に反し、米国の反日活動激化を恐れるあまり「関係者の帰国命令」だった。安達は馬場に状況を説明し、力になれなかったことを詫びた。全力を尽してくれた馬場を帰国させ、安達が帰国の準備に取りかかった矢先、メキシコの風土病に罹り病状は日増しに悪化した。5カ月後、ようやく快方に向かい九死に一生を得て帰国の途についたのは、翌年8月30日だった。
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