大正2年7月21日、峰一郎を乗せた客船がマンサニーリヨの港に静かに碇を降ろした。桟橋にはメキシコ政府高官や州知事、臨時代理公使の田辺などが出迎えた。シカゴ領事館書記生の馬場の姿もあった。コリマ州知事は歓迎の言葉をこう述べている。「小なる日本が大なる露国に勝ちたる如く、我がメキシコも日本に習い、これを友として米国に打ち勝つべし」。米国の新聞各社は、これを「同盟を結ぼうとしている」との憶測記事も含めて至急電で自国に伝えた。これが後に米国民に危惧を抱かせる事となる。メキシコの内乱が激化すると、メキシコに利権を持つ国々は艦艇を派遣した。当時日本はメキシコに利権を持たなかったが、西岸一帯に約3千人の邦人が居り、邦人保護を目的とした艦艇派遣が必要と峰一郎は考えた。峰一郎は反政府勢力の責任者との交渉を馬場に託し、反政府勢力支配地区に生活する邦人の救出に協力を得る情報を待った。
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