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23.「第2回ハーグ平和会議の視点と日本側委員」

鈴 木  勝

 明治32年に国際紛争の平和的処理を目的に開かれた「第一回平和会議」と明治40年の第二回平和会議はハーグで開かれた。第二回会議中に発生した韓国の「密使派遣事件」は、後に韓国併合問題を促し、影を落とす結果となった。安達は、第二回平和会議のための委員に任命され明治39年11月、その準備委員会が外務省会議室で開かれた。協議内容を見ると、@調査方法、A参加者の追加人事などが議題であった。参加者の顔ぶれは、委員長には枢密院の書記官長・都筑馨六、委員に海軍少将・島村速雄、海軍参事官・山川端夫、陸軍砲兵大佐・大井菊太郎、外務省参事官・安達峰一郎、同・倉知鉄吉、同・立作太郎、外交官補・長岡春一の8名であった。倉知はベテラン外交官、立は後に國際法の著名な博士となり、長岡は安達の死去による常設国際裁判所判事の補欠選挙で当選した人物で、日本の国連脱退宣言の議場に松岡代表と同席した。 

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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