日露講和会議開催の労をとったアメリカは、会議開催中に、アメリカの鉄道王ハリマンを秘かに日本に派遣し、満州の鉄道経営をアメリカと共同でするよう提案した。戦略上の二面外交である。その行動は素早く桂首相はうかつにも同意の覚書を与えてしまった。しかし、帰国した小村全権や安達が桂の考えに断固反対したので調印には到らなかった。そこでアメリカは、議会で「移民法」を可決し、アジア人、特に日本人が移民として入国する事を禁じるなど、アジアにおける権益拡大政策を次々と立案し実行に移した。巧みな外交戦術によりアメリカは、桂首相と「桂・タフト協定」を締結した。それは、アメリカが満州・朝鮮における日本の権益を保障する代りに、日本はアメリカのフィリピンでの権益を保障するというものであった。したたかなアメリカは、その後も世界戦略を変更する事なく、日本の弱点の調査研究を続けていた。
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