米国戦務省(現国防省)の上級幹部が極秘に「世界戦略計画」(別名カラープラン)を策定したのは日露戦争中の1904年である。当時、欧米に広がっていた「黄禍論」が根底にあり、ミロ・マハン博士の戦略思想「海上権力史論」を国防・国益に結びつけた戦務省の極秘プランであった。当然のことながら日英同盟も敵国として、「カラープラン」を秘密裏に練られ、日本はオレンジ、英国はレッドで策定された。この「カラープラン」は相手国の戦略はもとより、覇権に当たる総ての諸問題について正確に情報収集把握がなされ、それらを基に緻密に練られた「世界戦略計画」だった。峰一郎は、この様な米国の行動を薄々感じとり、日本政府や関係する人達に危惧のメッセージを送り注意を促した。この事は、外務省憲政資料室に保管されている峰一郎が送った外交文書や書簡など膨大な資料より読み取る事が出来る。
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