日露戦争の日本勝利に対して、欧米諸国に驚きと警戒が広まった。「黄禍論」の台頭である。全世界が注目する中で、米国はアジアでの利権確保のため日本に対して二面外交で仲介を引き受けた。表は仲介、裏は仮想敵国としての国防計画(カラープラン:日本はオレンジ)である。日本代表団は戦勝国として大歓迎を受けながらポーツマス港に到着した。一通りのセレモニーが終わり、日露両国は会議の参加者名簿を交換し合った。日本側は、主席代表・小村寿太郎、副代表・高平小五郎、随員は佐藤愛麿、安達峰一郎、落合謙太郎、以上5名である。会議に先立ち、何語で交渉するかゞ話し合われた。日本は英語、ロシアは仏語を主張したが、話し合いの結果、仏語に決定した。峰一郎は得意な仏語の通訳をしながら、逐一メモを取り、小村に渡した。長い会議が終わると、小村が峰一郎の手を強く握り「メモ有難う」と一言礼を述べたという。
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