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16.「峰一郎 東京高等商業学校の教壇に立つ」

鈴 木  勝

 パリ万国博覧会を成功裏に納めた日本政府の次の課題は日露外交関係であった。峰一郎に帰国命令が出たのは明治36年5月である。帰国早々参事官を拝命。翌年3月、横須賀佐世保捕獲審検所評定官を任命された。又、東京高等商業学校(現一橋大学)の講師として教壇にも立ち、後々日本外交史に登場する来栖三郎・川島信太郎・伊藤述史などを指導している。峰一郎の真に迫る話術の巧みさと、現場の実体験を基にした授業は学校中の評判になり、他のクラスの学生も聴講に来て、受講生が廊下にはみ出す程であった。生徒達は休日を利用して峰一郎に教えを請うために安達宅に出向いた。鏡子夫人は生徒の行動を温かく見守り、区切りのついた時間を見計らっては、夜食やお酒で持て成してくれたという。後に川島公使が、当時の模様を「追悼録」で詳しく述べている。


 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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