安達が本国外務省より、スペイン国との条約改正の機密指令を受信したのは栗野公使の赴任前である。「栗野公使着任し次第、国益を第一に対策を講じてスペイン国との交渉に入るべし」という内容であった。栗野公使が着任すると仕事は早かった。ある日、栗野公使が安達の所へ来て「来週からスペインへ例の件で出張してくれ。私も後から追いかける」。峰一郎は、外交折衝の本番に入ったことを自覚した。峰一郎には迷いはなかった。即座に「解りました。全力で当たります」と自信に満ちた返事をした。峰一郎の行動は早かった。出港時に林次官から聞き及んでいたからである。関係者には既に万全の手を打ってあり、戦術毎に情報が揃えられ出番を待つ状態であった。この模様は、博士が亡くなって2ヶ月後に東京で開かれた「安達博士追悼会」での栗野の談話として追悼録に掲載されている。
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