当事、欧州各国にある日本公使館は、公使の度重なる交代が行われていた。要因は、不平等条約の見直し、近代国家体制創り、国威発揚の促進であった。しかし、語学の堪能な外交官が不足していた。峰一郎が赴任した在イタリア日本公使館も同様で、明治27年9月に姫小路臨時代理公使が転勤して、特命全権公使・高平小五郎がオランダから赴任した。しかし高平公使は翌年にはスイスに転勤した。それに代わって栗野慎一郎公使がアメリカから赴任したのが明治29年6月であり、この間、最高責任者が不在であった。そのため日本政府は、安達峰一郎を臨時代理公使に起用したのである。この時の経験が自信となり、条約改正の仕事において、峰一郎の実力が存分に発揮され、結実して行くことになる。
「 代理にと手続尽し補の人と 上なる方々請はれしなども (鏡子) 」
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