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9.「 峰一郎と鏡子 華燭の典を挙げる 」

鈴 木  勝

 峰一郎が鏡子に心情を綴った書簡を最初に送ったのは、明治22年10月の事で、峰一郎20才の秋である。文面は、切々と思いを述べ、率直な文で綴られている。峰一郎が鏡子の存在を知ったのは、鏡子の父・高澤佐徳が開いた法律塾に入った時である。峰一郎の山形師範学校中学科時代は、同級生の間で彼女はマドンナであった。彼女に対する思いが変ったのは上京後である。峰一郎には佐々木忠蔵という天童出身の先輩が居り、いろいろ相談に乗ってもらった。峰一郎は安達家の長男として、自己の「志」実現のため、着実に行動を開始した。明治25年、帝国大学を優秀な成績で卒業すると、同郷の先輩・垂石太郎吉に仲人を頼み、正式に高澤家に結婚を申し入れた。そして、華燭の宴は8月と決まった。

「千代経てふ ためしなりける鶴亀も 君にならひて契りかさねん(鏡子)」

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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