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8.「 国会開設と峰一郎の役割 」

鈴 木  勝

国会開設が明治23年7月、と明治政府より発令された。山形県は1区〜4区あり、1区の定員は2名である。改進党から宮城浩蔵、佐藤里治、自由党から重野次郎が立候補して少数激戦であった。峰一郎、21才の時である。宮城、重野の両候補は同じ元天童藩士で両者の対立は激しさを増したと推測できる。自由党の革新的選挙手法に比べ改進党は、宮城・佐藤の共同戦線を張り、理論と実践の実学選挙で臨んだ。峰一郎も、恩師の出馬に帰省して、多田利助や垂石太郎吉等と供に、応援演説や街頭演説、選挙公報のビラ配りなど選挙活動に全力を尽した。選挙の結果は、宮城候補が1625票、佐藤候補が1385票で当選し、重野候補は1084票で落選した。鏡子夫人の歌集には

 「 最初なる国会議員の選挙には 君がいちりき一力 在学中に 」

と詠われている。

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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