明治政府は、外交政策の一環として国内外の法律整備を急いだ。
幕府が結んだ不平等条約を改正しようとする新政府の方針に、欧米各国は「法の整備が不十分」として冷ややかだった。そのため政府は欧米より専門家を招聘し、法律家の育成を図ったのである。
峰一郎は、将に時代の申し子であった。特に語学と法律についてはお雇い外国人の通訳や翻訳を任される程であった。ある日、宮城浩蔵から「パテル先生の通訳をやってみないか」と誘われると、峰一郎は二つ返事で承諾した。彼は宮城の厚意に胸を熱くした。
パテルノストロは宮城から「峰一郎に決まった」と聴くと、安堵して自ら本郷の羽陽館に足を運んだのだった。鏡子の歌集には、このことを次のように詠まれている。
「 早速と パ先生には本郷の 君が寓居(羽陽館)へ 君に請はれし 」
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