峰一郎の乗った鰯小船が江戸の桟橋に静かに到着した。宮城浩蔵に宛てた父久の手紙を確認すると、峰一郎は麹町の宮城邸に立った。宮城は天童出身の行政官であり教育者(明治法律学校の設立者)であった。宮城は郷土愛に燃え、後輩の育成に深い理解を示し絶大な支援を行っていた。熊井戸、佐藤、高橋、鈴木、岩月らは宮城を慕って上京し、宮城宅に寄宿し通学していた。峰一郎も世話になった者の一人である。峰一郎にとってこの私邸は、単なる溜り場ではなく志を磨く修行の場であった。峰一郎は、同郷の友と大いに天下国家を論じ、郷土の発展を語り合って「村山会」設立に参加した。
鏡子夫人は、歌集「夫・安達峰一郎」に、峰一郎の保証人になってくれた宮城浩蔵を、
「 宮城博士 君が身柄を保証せり 又 他の博士も敬愛尽して 」
と詠んでいる。
|