見聞を広めながら塩釜に到着した峰一郎は、親切な地元の人に小船で東京に向かう方法を教えてもらうと、適当な「鰯小船」を探したようである。当時の「水上交通図」によると、太平洋廻りは江戸時代から続いており、江戸に物資を運ぶ小船が多くの物資を寄港地の多い航路で運行していた。寄港地は大きな港中心で、目的地到着が最も早く、労力も少なくてすむ方法であったが、現在とは比べものにならない長旅であった。こうして峰一郎は、極力無駄を省き、生きた社会の学問を身につけながら上京した。
寄港地を検証してみよう。塩釜を出航すると、荒浜・原釜・請戸・那珂湊・銚子・小湊・浦賀・神奈川・江戸と、船旅は実に9日間であった。当時の模様を鏡子夫人が短歌8首に詠んでいる。
「 決心し鰯小船に塩釜より 東京指しての君が初旅 」
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