安達峰一郎博士その生涯と業績
第一世界大戦前後、「世界の良心」と謳われた安達峰一郎博士は、外交官としてメキシコ公使、ベルギー大使、フランス大使を歴任しました。国際連盟では第1回総会の日本代表随員、第2回総会から第10回総会まで日本代表となり、国際紛争の解決に努力しました。昭和5年には常設国際司法裁判所裁判官の選挙に立候補し、国際連盟加盟52カ国のうち49カ国の支持を得て第1位で当選、翌年の第1回会合で所長に選ばれました。昭和9年、病により亡くなりましたが、日本人として唯一、オランダは「国葬」で、常設国際司法裁判所は「裁判所葬」で博士の栄誉を称えました。各国代表をはじめ、日本皇室名代、日本政府代表も参列しています。 1.法律家委員会の委員として、人類初の国際組織である国際連盟を創設した一人である。 2.常設国際司法裁判所創設の一員であった。 3.常設国際司法裁判所の判事及び裁判長として、国際紛争及び裁判長として、国際紛争及び少数民族の問題の解決に、大きな役割を果たした。