安達峰一郎と世界平和への道 10.安達峰一郎の世界平和の組織化への胎動

山形大学教授 澤田裕治
(編集:安達尚宏)

A.無差別戦争論 =戦争合意無差別論(戦時国際法(戦争法)[ ①中立法規 ②交戦法規] )

  • 1884年(明治17) 赤十字条約=ジュネーヴ条約「戦場における軍隊中の負傷軍人の状態に関する条約」(日本は1886年に批准)
  • 1894年(明治27) 日本、清国に宣戦布告

B.世界平和の組織化への胎動

  • 1899年(明治32 ) 第1回ハーグ平和会議
    1904年(明治37 ) 日露戦争勃発
    1905年(明治38)  ポーツマス講和会議  安達の国際交渉への初参加
  • 1909年(明治42 ) 第2回ハーグ平和会議 安達は国内準備委員として参画
  • 1919年(大正8) ヴェルサイユ講和会議  安達は日本全権随員として参加
  • ヴェルサイユ条約は、ドイツに対する講和条約を含め全体で440カ条の規定と多くの付属文書からなる。
    その冒頭に置かれた国際連盟規約により国際連盟の設置を規定。
    ここに歴史上初めて常設の諸機関を備えた国際平和維持機構が誕生した。
  • 1920年(大正9) 安達がヴェルサイユ講和条約実施委員及び常設国際司法裁 判所 規定起草委員を拝命。
    法律家諮問委員会がハーグの平和宮で35回も開催され、その中で安達が応訴義務について発言。
    その記録が残されている。
  • 1924年(大正13) 国際連盟で国際紛争平和的処理に関する「ジュネーヴ議定書が採択された際、安達は日本に不利な内容に対し筋の通った法律論で修正を求めた。
    このとき新渡戸稲造国連事務次長が「安達の下は国宝だ」と称賛した。

連盟規約は、前文で「締結国は戦争に訴えない義務を受諾すること」を加盟条件とすることを明記。
軍備縮小、 紛争の平和的解決(仲裁裁判)、集団安全保障を三位一体として目指し、自衛のための戦争だけを正当化した。